「三国志」第20話まで
2012年 05月 22日
呂布を中心に、と前回書いたのだけど、この物語は基本的に曹操中心。呂布がひっとらえられて曹操と劉備の前で対峙するシーンは確かに呂布中心だったかもしれませんが(単に私は呂布目線で見ているからそう見えるだけということもあるでしょう。)、陳宮を説得する曹操のシーンでは曹操がこの世の中心であり、曹操を鮮やかに見せるための呂布、でしょう。陳宮は曹操、劉備、呂布についてそれぞれ言及しました。3人を比べるために登場した人物のようでもあります。劉備については「恐ろしい」。曹操については「奸賊」。呂布については「無知だが心根がきれい」。呂布が陳宮や貂蝉が言うような心根が美しいとまで言える人物とは思えないけれども、陳宮がなぜ呂布を選んだのか。人は誰もが曹操や劉備になれるわけでも従うわけでもない、という逃げる余地をこの作品は残している。そこが心地よいと思います。
その陳宮に曹操は反論します。「この世の通俗的な道徳観念をとっくに捨てたのだ。人はわしを奸賊と呼ぶが誰も何もできん。そなたのように正論を吐くものは皆つぶされていく。君子となったために侮辱され踏みつけにされ殺されることもある。ならばわしは己の志を実現する。奸賊になる。」
鮮やかな曹操。そして処刑へと向かう呂布。その時に流れるこのドラマのエンディング曲の歌詞が字幕でついて、ああ、いいなあ、と思った。処刑される人物があんなに着飾った美しい女性に彩られることはあり得ないだろう、と思ったものの、初めて貂蝉が美しく見えた。
「天地の間は果てしなく広い そこで大きな力がぶつかりあう 勝っても敗けても長くは続かない 大地を流れる大河のごとく はるか彼方へと流れ去っていく」