そしてCDを2枚購入して毎日聴いています。一枚はベスト盤の「ブリッジ」。もう一枚は「ノスタルジア」。ノスタルジアは一番新しいCDで本にも書かれてありますが、米良さんの転機となったという「ヨイトマケの歌」が入ったCDです。ベスト盤には「ノスタルジア」以前の初期から中盤の米良さんの歌が入っていますが・・・確かに初期の声と中盤の声、そして「ノスタルジア」は全く違う。初期の歌は圧倒的で、聴いた瞬間に吸い込まれそうな魅力があります。声がまろやかで透き通っていて美しい・・・。天使の声、というかそれ以上、神の子の声のようです。聖らかな、しかし悲しみのある声です。中盤は・・・「こなす仕事」と本にも書かれてありましたが、そう言われてみるとそうなのかな、という気がしてきます。CDのコンセプトのせいなのでしょうけど、難解ではなくごく単純に歌っているように感じます。人気が上がったので一般人向けを心がけていたのかもしれません。初期の芸術性はありません。そしてセクシュアルな雰囲気が増しています。聖らかさは薄れています。声のまろやかさがなくなっています。「ノスタルジア」はとても俗的です。聖らかさは全くありません。高い音は嬌声のようでもあります。しかし一つ一つの歌がとても芸術的に仕上がっています。ただ、「ヨイトマケの歌」だけは私はちょっと苦手です。米良さんの思い入れはわかりますが、もう少し引いて歌った方が伝わるんじゃないかなあ、と思いますが、この歌は芸術的ではなく、逆向きに歌いたかったのかなあ、とその心情を察する感じです。(あとこっそり。母性賛美みたいな歌自体もちょっと苦手。)「ノスタルジア」はアルバムとしてとてもいいアルバムなのですが、初期の声がどうしても魅力的なのでその声が失われていることは悲しいし、誰しも表現する人にとってその表現は永遠に続くものではなく、その一瞬のものなのだ、ということにも悲しみを感じます。「ヨイトマケの歌」はきっと次の米良さんのために必要な歌なのでしょう。次の新しい米良さんを楽しみに待ちたいと思います。・・・と勝手な感想。勝手ついでに蛇足。初期の米良さんはご本人も世間での経験が薄いというようなことを書かれてありますが、その無菌状態のような環境が聖的な雰囲気を生んでいたのではないかと思いました。私も大学に入るまで、目が悪かったためテレビをほとんど見せてもらえませんでした。単にテレビを見ないだけで、無菌状態に近い状態でした。芸能界についてある程度知らないと世間を渡るのは難しいものなのです。世俗に戻るのに時間がかかりました。米良さんが松田聖子さんの顔さえ知らずに色々想像を膨らましていた、という状態がどんなものか私には想像できます。情報が少ない中、どんどんその対象を好きになっていく感じ。世間に対する渇望からどんどん世間へ入っていて・・・「どん底に落ちた」と書かれてありますが、そのどん底がどんなものなのかがさっぱりわからなかったのですが・・・その感じもわかる気がしました。ただしわかるのはそのことだけ。病気の苦しさとか宮崎の山の奥の暮らしとか風景とか、すばらしい声で歌う気持ちとか、全てわかるはずもないことだらけ。イノシシの肉はぜひそのおいしい食べ方で食べてみたいものです。
↓「もののけ姫」自分の歌にエクスタシーを感じる、とありましたがいうのがそりゃそうでしょうねえ。