「アナザー・カントリー」
2008年 08月 04日
昔々、おそらく高校時代にこの映画を見たことがありました。ジュネとか読んでいる友人の間で「モーリス」と「アナザー・カントリー」はなんだかスゴイモノといった風情で囁かれていたのですが、友人宅で実際その二つの映画を見た時にはちょっとがっかりしたものです。もっと派手な愛情表現を想像していたのですが、意外に高尚で??でした。当時の私は随分とお子様だったんでしょう。
ちょっとだけ大人になった今、もう一度この映画を見るのを楽しみにしていました。今週末はやはり家に篭ってこの映画を2回見ました。ちょっとだけ精神衛生上良くない映画。
まずは、コリン・ファースが若い!それから主演のルパート・エヴェレットがかわいい!確か昔見た時にはどの人もまるで好みじゃないなあ、なんて思ったものですが・・・。そのルパートさんはどうもゲイであることを告白して、一時期映画界から遠ざかっていた(仕事がなくなった?)模様です。ガイ・ベネット役は彼にとって当たり役というか、運命だったんだなあ、と思えます。
ストーリーは私的に解釈すると・・・出世コースを愛のために挫かれた男が復讐のためスパイになる、ってこと?英国のしかも1930年代のパブリックスクールがどんなものなのか、この映画を見てもやはり少しピンと来なかったりする。それというのも、学校の閉塞感みたいなものは私が通った田舎の中高でも大いに感じたし、親しい仲間内での引っ張り合いみたいなものはよくある話でもあるし、出世争いなんて世の中にごまんと存在するものであるから。しかし、当時の英国といえば世界の中枢であり、そのフランス大使が狙えるようなポジションにあるってのはもちろん生まれたときから選ばれし存在であり、またそれを狙える位置に自分を持っていくのはそれこそ大変な数年間だったんだろうなあ。彼は自分が出世するのが当然だと思っているし、そう思えるだけの中身を持った人物であると周りからも目されているらしいこと。しかし、彼は権力闘争に敗れた。いやらしい方法で、中身のない薄っぺらい人物によって。それというのも、彼は愛を大切にする心を持った男だったからだ。・・・東大出身の外郭団体の人と話をして、官僚になる以外は脱落者、みたいな考え方をする人だったのでびっくりしたことがあったのだけど、とんでもないエリートの世界というのは本当に固いというか、大変なんだなあ、と思ったことを思い出した。とんでもないエリートではなくても、私の大学時代の友人にも、自分が思うような職業につけなかったことを未だにぐずぐず言い続けている人がいるのだけど、こういう感情っていうのは何だろう。こういう感情は私にも少しは見に覚えのある感情なのだけど、エリートにも、自分が憧れていた職業についてバリバリ働いているように見える人たちにもささやかな日常があり、それがどんなに輝かしく周りから見えても、やはりそれは日常にすぎず、日常はどんな人でも輝かしいものにできるものだ、と私なんかは心底思っているので、そして自分の日常に満足しているので、それほど”恨”を抱えずに生きているつもりなのだけど。なんとなくそういう感情が刺激されてしまいました。
コリン・ファースについてもう少し。DVDのおまけの中に劇場版について少しだけ映像があったのですが、コリン・ファースが演じたトミー・ジャド役は劇場ではケネス・ブラナーが演じていたようだ。劇場らしく、ルパート・エヴェレットもケネス・ブラナーも大味というか大仰な舞台演技だったが、ケネス・ブラナーのジャドは骨太な感じ。コリン・ファースは腕の白さと細さにびっくり。白いからじゃないが、マルクス主義に傾倒するインテリの雰囲気が大いに出ていた。