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雍正帝誕生にまつわるあれこれ

 宮崎市定著「雍正帝」を読んで雍正帝のあらましを知って以来、「宮廷女官ジャクギ」の中で雍正帝誕生がどのように描かれるか興味津津でした。それといいますのは、本から引用すると書き写しが大変なので、ウィキペディアを貼りますと
康熙61年(1722年)、康熙帝が病を得て崩御すると、遺詔によって胤禛が指名されて皇帝に即位した。この時45歳であった。しかし即位時の経緯には不明な点が多い。康熙帝の遺詔は病床の傍にいたロンコド(康熙帝の皇后の弟)が聞いて、それを胤禛に伝えたということになっていたが、実は遺詔には「十四子」と書いてあったのをロンコドと胤禛が「十」を取って捻じ曲げたのだという噂が絶えなかった(「伝位十四子(皇帝の位を十四皇子に伝えること)」の「十」の字に加筆して「伝位于四子(皇帝の位を四皇子に伝えること)」に書き換えたともいう)
注:ただし、そもそも詔書などといった皇室の書類は満文と漢文両方によって編纂することが多く、たとえ漢文版を変造できても、同じ手口で満州文版を変造することは不可能であり、よって噂の信憑性は非常に低いと言われる。

というわけで、どのようにも描くことができるではないですか。宮崎さん著の本では、もし十四皇子に位を伝えるつもりならば一番大切な皇子を千里の遠方に送り出すはずがない、とか、崩御の直前に四皇子はたびたび名代として派遣されていた、とか、色々な雍正帝擁護論も書かれていますが、
いろいろの風説やデマが乱れ飛ぶ中に、人情として興味がひかれるのは、何といっても雍正帝に対して不利な方の風聞である。

とあり、なるほどなあと思わされました。といわけで、ドラマでもやはりドラマチックなのは、真っ当に皇位を受け継いだ、というよりも陰謀。このドラマでもそういう描かれ方ですね。(動画で見た時には細部がわからず本日詳細がわかりました。ただし、こんな大事なことを口伝え、というのはどうなんだ?ちょっとしょぼい設定です。小説ではどうだったんでしょう。)実際のことはわかりませんが、本当に真っ当に受け継いだのだとしたら案外かわいそうな皇帝です。「雍正王朝」ではどのように描かれているんでしょう?楽しみです。
 あと、皇子たちの権力闘争と、最後まで皇太子を決めなかった康熙帝について思うことは、皇太子を立てると、老い先短い皇帝よりも次に確実に皇帝となる皇太子に取り入ろうとする取り巻きが集まってしまう傾向がこれまでの王朝にもあったし、康熙帝の皇太子にも起こったそうで、2度も廃位した後、きっと懲りたのでしょう、後はいずれか一人とびぬけた権勢を誇る皇子を生みださないよう牽制し続けたんじゃないかな、と勝手に想像します。というわけで、宮崎さんの本には登場しないので歴史上、どういった経緯で十三皇子が監禁されたのか不明なのですが、十三皇子の監禁は四皇子の権勢を削ぐためだったのでは?と想像。そう思っていたところで、「雍正王朝」の2番目くらいのエピソードで四皇子が借金集めの仕事をする時に十三皇子も手伝わせてほしい、と願ったところ皇帝はだめだ、と言い、その理由はというと「お前に本物の孤立無援の臣になってほしいのだ」というシーンがあって、ホホー、そのままじゃないの、と思ったのでした。「雍正王朝」での十三皇子は本当にかわいそう。どんなに手柄を立てても褒美なし。まだ皇太子が最初に廃位される段階で既に軟禁状態。それにしても十三皇子と皇帝の関係というのはちょっと胸が熱くなるようないい話で、この二つのドラマでも十三皇子は当然いい人として描かれています。雍正帝の兄弟たちはみんな名前に”胤”という字を持っていて、皇帝誕生とともにみんな兄弟ではなく臣下となるため同じ名前を持つことが許されないしきたり(?)だそうで、”允”と変わったそう。ジャクギの中に十三皇子だけはそのままの名前を許された、とありましたが、本によれば許されたのは死後のこと。
臣下になりきった兄弟であって始めて独裁君主から兄弟扱いにされる。兄弟は生れてなるものではなく、天子が与える位地である。そこに独裁政治下の独特の家庭生活の風格があるものである。

十三皇子は生前親王だったのですが、雍正帝の次の皇帝の乾隆帝によって本来一代限りの親王の位を世襲できる(世襲罔替)とする栄誉が子孫にあたえられたそう。それは父によく仕えてくれた、という特別なご褒美だったようで、そのような特権が与えられた親王家は西太后の時代までなかったそうで、やはり特別な兄弟だったんだなあ、と。
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by chatttenoire | 2012-11-20 02:21 | 中華 | Comments(0)
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