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チョン・ウングォル著「太陽を抱く月」

 新書館から発売されている翻訳本を読みました。ドラマ「太陽を抱く月」の原作本です。
 以下、原作本のねたばれあり。
 yucaさん(ブログnothing hurtさん)の記事を読んで、原作とドラマが決定的に設定が違うことを知り、ちょっとびっくりして読んでみようかと思ったのですが・・・私は苔むしたような古い本を時々読むだけで現代作家の本はほとんど読まない人間で、しかもこういうキラキラした若い感じの本を書店で手にとってレジに向かうのは憚れるような感じがして、しかしアマゾンで記録が残るのも嫌だ、と妙な葛藤がありました。結局先週末旅行した時に旅行先で”上”を買い、”下”はあちこちの本屋さんで売り切れていたためアマゾンで買ったのだけども。(話はそれますが、もしかして、書店の韓流本、激減しています?あまりそういうコーナーに立ち寄らないものの、今回本を探してそんな感じがしました。)
 本の感想に戻ります。ドラマと原作本の決定的違いはヨヌが記憶を失っていないこと、ヨヌと王は子供時代に顔を合わせていないこと、で、これらはあらかじめ知って読み始めたのですが、読み始めてすぐにドラマとこの本は全く違う話だな、と思ったのですが、最後まで読むとドラマと原作本が混同してくるくらい全体のテイストは似ている、というのが大まかな感想です。あと、原作本ではヨヌがウォルだった時に受けた数々の試練(焼き鏝、拷問、投獄など)は全く起こらず、王は終始、ウォルはウォルとして大切にして寵愛し続けるというところも違いますねー。ドラマ的には拷問シーンは必須なんでしょうかねえ?あれはどうかと思っていたんですが、やっぱり原作にはなかったか。だって拷問を受けて足が血まみれになったのに、その後の治療シーンは皆無で、あの血は一体?って感じでしたから。違うところを挙げていくとキリがなくなりますが、都巫女の張氏のキャラクターも全く違うというか・・・原作本では魔法使いのおばあさんのイメージでそういう役者を探すのがむずかしいのでしょうねえ。ドラマでは張氏がヨヌを助ける理由が友人の巫女のアリの存在があったわけですが、あれはドラマの全くの創作。アリを巡る物語はヤンミョン君をどうして父王が遠ざけたのか、という理由でもあり、ユン・デヒョンや大王大妃のキャラクターの奥行きや繰り返し効果があったと思うのですが、あれは確かにドラマ的。原作本ではそういうところじゃない奥行きがあります。アリ無しで、原作本での張氏はなぜヨヌを助けたか?「この世で一番強い呪術は何か?人間のせつなる心。これより強い呪術はない。王様とお嬢様をひとつに結びつけた呪術はお互いを想う心だった。」また、張氏が術を行った時にすでに二人の縁がつながっていて計画が崩れた、と。すごく説得力があるんだけど、ドラマ的には視覚効果が薄く見送られたのか?ついつい、ドラマの比較をしてしまうのだけども、本だけの魅力は、ドラマでは”太陽”と”月”の隠喩がしつこいのだけど、しかも二つの太陽、二つの月としているのだけども、原作本では”太陽””月””雨””雲””雪””炎”が美しく使われている。特に”雲”。雲の描写が良かった。雲とはウンのことですが、ウンはドラマでは原作本ほど詳しく描かれていないにもかかわらずテイストは全く同じなのが不思議。
 話は変わってドラマと原作本のヒロインについて。ドラマの批評をいくつか読んだ中で、このドラマと同時期に放送された(らしい)「屋根部屋の皇太子」「キング・ツー・ハート(?)」と合わせて、この頃の韓国ドラマは”財閥御曹司”だけで飽き足らず、ついに”王”を登場させはじめた、女性の願望はかくも際限無いものか、というようなものを見ました。御曹司ものがオンパレードの時代の前には”キャンディ”のように努力する女性キャラが登場するドラマが全盛だったのに、例えば「太陽を抱く月」ではウォル(ヨヌ)はほとんど努力することや自ら動くことなく、王から一方的に愛を受け、王が過去の事件を解き明かすのを待ち、その地位を回復してもらい幸せになる、このようにこれらのドラマでは女性キャラクターはかわいらしいだけで新鮮味がない、これは一体どうしたことか、というような内容でした。(記憶違いかもしれないが。そして私は残り2作を見たことがないため、残り2作の評は全く覚えていない。)言われてみるとこの物語のヒロイン像は実に陳腐で、演じるハンガインのせいかと思って却ってこの陳腐さが見えておらず、誰が演じても非難されただろう、とハン・ガインを脚本家がかばっている発言を見たが、その通りかもしれないと思ったものでした。で、原作本では最初からヒロインは自分が誰かを知っていた、ということで、単なる受け身だけにとどまらないのか、と思ってそういうところにも注目していたのですが・・・。ドラマほど陳腐ではないものの、”雨”のようにひたすら湿っぽく、やはり・・・面白くはない。何かあまりにも欠点がなさすぎるんですよね。韓国的ヒロイン、という感じ?でもついつい読んでしまうのは、ドラマと同様、やっぱりヒロインと王が幸せになってほしい、その姿を見たい、と思わされる何かがあるんでしょうけれども。そういう意味でのハイライトというか、最も陳腐ではなかった瞬間は、ドラマもそうだったのだけれども、ミンファが全てが明るみとなった時に「あの時の選択を今も後悔していない。もう一度選択することになっても自分は間違いなく旦那さまを選ぶ。」と開き直るシーンかなあ。
 で、ヒロインの陳腐さを感じ始めた時に”泡沫”を思い出しつつ、泡沫の原作の翻訳本がもし出版されたとしたら、そっちの方が絶対に面白いだろうに、あー、残念、と。あと、昔々に読んだ「なんて素敵にジャパネスク」を思い出した。

 ・・・余談。散々私が書いたヒロインの陳腐さ、はこの物語的には関係ないというか、この物語は、小説もドラマもひたすら男性を女性の視点で愛でるという点にあって、そこがドラマでも受けたんじゃないかと思っている。
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by chatttenoire | 2012-10-08 18:33 | 韓国ドラマ | Comments(2)
Commented by moonlight-yuca at 2012-10-08 21:21
chatttenoireさん、どもども~

いやあ、私と同じ意見ですわぁ。しかも韓国ファンタジーのことを考えて氷室冴子を思い出したことまで一緒!
「太陽抱月」上巻はまだ読めたのですが、下巻に至っては、作者が何を語りたいのか、良くわかりませんでした・・・
結局、肉欲(人間のせつなる心)っちゅうものはすごいんだね・・・なんて的外れの感想を抱いています。
ドラマもね、今、魔女狩りのような拷問のところで・・・確かにこれだけ、中身が薄い本を20話にしようとすると、こうなるよねぇ、という苦心の跡が見えます。

泡沫の原作本・・・読みたいなぁ。
もっとこちらの方が評価されてもいいのにね。
Commented by chatttenoire at 2012-10-10 01:07
yucaさんへ~。
yucaさんの記事、さきほど読ませてもらいましたー。私は現代の本をほとんど読んでいないので、yucaさんの記事の意味がわかっているかどうだかってところですが、なんとなく自分のわかる範囲で感想を書きますと・・・
ヒロインへの共感というものが必要のない時代になってきたのかも?となんとなく感じます。共感はこれっぽっちもできなかったけれども、この小説、私としては軽くまあ、面白いと言えば面白かったですね。私も薄ーいBL的な感じをこの小説にもドラマにも感じていました。BL感が心地よかったのか?
いずれにせよ、韓国の小説(翻訳ですが)を初めて読みました。記念すべき第1号。次は探していた時にみかけたトガニ(?)を読んでみたいな、と思っています。
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