純愛を超越した純愛
2004年 12月 28日
こんな状態のせいか、「パリの恋人」(第11話)はもりあがってきているはずなのに、私はそんなにもりあがらず。相棒は隣でB’だ!とか言ってもりあがっていました。
冬ソナはリアルタイム鑑賞からは遠く置き去りにされて、なんだか冬ソナは飽きた、って言う人の気分もわかるかなあ、なんて思ったが、とりあえず続きを見よう、と7話を見ました。(まだ7話です。)すると・・・やっぱりBYJは美しい・・ミニョンさんはもう文句なく美しいのでした。やっぱり冬に見る冬ソナは格別です。二人(ユジンさんとミニョンさん)の間で空気が氷となってきらきら光っていました。
さて、こんなきらきらしたお話とは全く正反対のどろどろした世界。
こちら。
このページは北原みのりさんのlove piece clubというサイトのコラムの一つ。
このサイトを久しぶりに読んで、それでこのところ色々考え込んでしまっています。堀江社長と和田代表は同年代とありますが、なんとBYJも堀江社長と同い年なのでした。私も何かの雑誌で堀江社長がお金があればいい女はいくらでも寄ってくる、みたいなことを言っている(or書いている?)とかいうのを読んだことあります。まあ、普通にがっくりきました。
「男性というのは多かれ少なかれ、恋愛感情よりも生理的な欲求が先行する。」
冬のソナタのキーワード、純愛、を改めて思い起こすと、一年前のことなので忘れていましたが、そのあまりもの純愛ぶりにびっくりしたことを思い出しました。今、あらためて第7話を見て、日本で言う、純愛を超越していると感じました。日本で言う純愛には、どこか男は耐えているんだぞ、本当は我慢しているんだ、みたいな隙があるのではないかと思います。イ・ミニョンという登場人物、もしくはBYJ演ずるこの人物にはそんな隙はまるでないのでした。そこには、生理的な欲求なんてものは自在に操れる余裕、女性への拒絶感さえ漂う男が存在しているのでした。自分の中の生理的欲求すら恥ずかしいと思えるような。
しかし、まあこのコラムに書かれてあるような方々は世の中には大勢いらっしゃることですし、女性の中にも男性とはそんなものだ、世の中とはそんなものだと思っている方も大勢いらっしゃるわけで、そんな空想の男なんて存在するはずがないわけで、そういう目からみるとそういう点ではイ・ミニョンを地でいってるような、BYJは極めて怪しい男でしょうなあ。
お金、女(もしくは同性愛というのもあったので性かな)、の点であれこれ騒がれるのも無理はないかもしれません。
ところで、リンクの張り方ですが、HTMLのタグで以下のように書きます。
<a href="HPアドレス" target="_blank">アドレスはここ</a>
”HPアドレス”のところにリンクしたいhttp://~で始まるURLを入れて、タグの間にテキストを入れればそこにリンクが張られます。
エキサイトであれば、投稿欄のの上にある内容アイコンの右から2つめの「リンク」っていうのを押すと、URL指定ができますので、そこにコピペするだけで自動的にリンクが張られますよ。お試しあれ!
(記事とあんまり関係ない話題ですみません…。)
堀江社長、私も同世代なんですよ。その仕事ぶりは凄いなあ、とか、うらやましい、とかいえるレベルじゃないんですが、漏れ伝わる人間性というか中身が楽天社長を含めて新しそうで全く新しくない、古臭い男ってところがなんともなんとも。